と、私は、教授になるまでは思っていました。
准教授のときは、ボスは別の建物にいたし、助手のときも別室にいたし、両者とも、在室時間を何かで縛る先生でなかったので、自分の気が乗らないときは、早くかえり、実験がうまくいくときや筆がすすむときは朝方まで・・というのが、私の時間管理でした。夜遅くなったり、徹夜しても、一応、朝は教授よりは早く行くようにはしていました。朝は来ていないと電気や開錠を教授にさせるのはよくないかな・・と、私も日本人的なところもあったりしました。准教授の最後の1年半は、新任の教授が着任して、平素は別の建物の部屋にいましたし、私も近い未来の独立を考えていて研究費も自分でとっていたので、自由にさせてくれていましたが、帰りぎわに研究室に必ず、立ち寄られました。それも、必ず20時ぴったりだったので、19時半くらいに、今日はそろそろ帰ろうかなあ・・などと思っても、のみの心臓の私的には、一応、20時まではいようか・・などとしていました。明暗サイクルを考えても、動物の行動実験は、すでに終了しているはずなので、動物舎に行っているという言い訳はできず、ラボにいなければ帰宅!ということになります。一応、大学院生も少しは気にしていたようですが、私から、このことについて、何かを大学院生にはいったことはなかったですね。そんな時に、私が雇用していたポスドクの方自身は、私と同じ方向性の考えではあるのですが、交通機関の関係で19時半くらいに大学を出るのが最も効率がよいようで、どうしようかな。。という感じでした。が、ある日から、きっぱりと教授立ち寄りの前に(たとえ、用事があっても)帰宅されるようになりました。理由は、配偶者の方(も、他の大学で研究者をしてられ、今もさらに他の大学で研究活動をしてられます)が、教授の回覧のためだけに研究室にいるのは研究者としておかしいと、めちゃめちゃ激怒され、そんなことをするなら、研究者を辞めろ、と、いわれたからとのことでした。
ところで、本題にもどると、こんなふうに、私は、時間縛りを受けずに今までの職業人人生をやってきていますが、教授が出張でいないと、『あのヒトにこれ教えておいて』『ごめん、この手紙、タイプしておいてくれる』『お客さんを空港まで迎えに行ってきて』『ゲラ刷り校正頼むわ』と、用事が急にふってくることがないので、自分で時間が使えるから、稼ぎ時!と、思っていることが多かったです。
今夜、外に行っていて18時半くらいにラボにもどると、半数以上の教室員がいず、教授不在のありがたみを感じていないのだなあ・・と、思った次第です。ゲラ刷りどころか、郵便の投函を、頼んで、きっぱりと『いやです』と答えられたのがトラウマとなって、私もほとんど用事を頼んでいないのもあるでしょうが。郵便の投函は、ずっと前のことで、後でわかったのは、今の子らしく、郵便を出した経験がなかったからみたいでした。今度からは、少しは頼りにしようっと・・・いや、今月、急に英文論文の和訳が必要になり、4年生6名が手分けして、2日間でほぼ完璧版をもらったので、学生には助けてもらっています。
やや、関連してですが、
ネットで、ボスの科研費の計画書の代筆をさせられて・・という愚痴がよくあります。今まさに、その季節ですね。私たちの世代(少なくとも、私がいたラボでは)、4年生の学部生のときから書いてました。ざっとした原稿は教授が書いて、准教授の先生たちが、ぬけている文言や参考文献を入れ、ドクターコースの学生が”てにをは”を直して、学部生が清書していました。私が4年生のころは、まだ、科研費申請書は手書きだったので。それから、少なくとも10年くらいは、手書きはないとしても、紙媒体を蛍光灯にすかしながら原紙にワープロで直接印刷の時代でした。だから、文字数を考え、行数を決め・・・と、していると、内容が確定してからでも、研究室総出で徹夜騒ぎになったわけです。朝までかかって、清書完了した後に、教授が大学へきて、ここへ一文追加・・と、言い出すとすべてがやり直しでした。4年生の女子学生(その頃は字がきれいな学生に女子が多かったようです)が、3回目くらいの書き直しになると泣き出すというのが、この時期の風物詩でした。4月に研究室に入ったときに、教授が、全員の履歴書を見ながら、『OOさんは字が綺麗でいいねえ』と、いった理由が半年後に理解できるわけです。
清書はやりすぎとしても、少し、年齢があがってからは、研究室内には、複数のプロジェクトが走っているので、自分が担当しているもので科研費申請をボスがしてくれると、ちょっとうれしくって、あらっぽく書かれた文章を自分が完成させる(しかし、その後、原型をとどめないほどに修正を受けるのですが)のは、少し誇らしく思ったりもしていました。自分の科研費申請書よりも、そちらを優先させて、学内締め切りの2週間前には持っていくようにしていました。正直なところは、そんなことをしていない助手や准教授も他のラボではいたし、自分のことは自分でやったら・・と、思わないでもなかったですが、今振り返ると、そのおかげで、今、教授として計画書を書くのが苦にならない、ましな計画書の書き方を少しは理解できているのかもしれません。
今は、さきがけ、とかもあって、学位取得して、2年くらいポスドクやって、すぐに独立というのが若い方の理想で、上の仕事はいたしません!きりり! というのがかっこよいようです。
今まさに科研費のラストスパートで、新規3つを書いているところです。いや、2つは自分で書いたのだけど、最後の1つはスタッフに書いてもらったのを今、直しているところです。なんて、ありがたい。学内締め切りは、すでに1週間すぎているので、今夜も長い・・ですね。
京都の金閣寺の近くに新規開店したお店のチョコレートです。