なぜ教授になったのか? なろうとしたのか?

 
会社に入社しても、全員が社長になれるわけでなく、また、なりたいわけでもないと思う。
研究者になっても全員がPIになれるわけでも、なりたいわけでもない。


研究することでサラリーをもらうようになった助手のとき。今ほどでないにしても博士課程終わって、ポストを得られる可能性はそれほど高くなく、何でもいいから(大学、研究所をとわず、私立、大学をとわず)、研究者番号をもらえる立場で研究を続けたい。と、思いつめていました。


卒業キリギリで就職の話をいただき、採用日の4月1日に、これから将来、研究を続けることが嫌になったり、なにか辛いことがあった時に、今日の気持ちを思い出そうと・・・当時使っていたノートPCのワードに書き記しています。


助手・助教のときから、独立して研究をしている人もいるし、分野によっては大部分がそのような所もあります。自分が助手のときは、研究アイデア、研究費すべてのことについて独立してやっていく能力はなく、教授の研究テーマの範囲で、自分が得意としていることをいかして、教授の研究費の範囲で研究を行っていました。良いボスに恵まれていたこともあり、学生もつけてくれたし、研究室内のこまごましたマネジメントも任せてもらって、のびのびと7年間過ごしていました。
もし、助手をしている間に、結婚・妊娠・育児があれば、おそらく今も同様に助手をしていた可能性が高いと思います。


しかし、一方で、教授と自分の年齢差は分かっているので、同じ大学・同じラボでプロモーションしていくタイミングもすでにみえていて、自分のオリジナルで仕事をしていけるのが随分先のことだともわかっていました。私を助手として採用してくれたボスは、年齢差を考えて、自分がリタイアの時に私が後任教授になるつもりで、研究だけでなく、学内外で控え目にして、周囲の人と協調してやっていきない。と、いってくださっていました。今、思うと、本当に私のことを考えてくださっていたのだと思います。控えめにする、謙虚にするというのは日本人として美徳なのですが、小さなことだと、共通機器の予約をしていても、他研究室の年齢が下の教員が、譲れといってきたり(自分のボスは、力のあるOO教授だから、重要な実験をしているから、先に使って当然だ)、大学から1件しか申請できない研究費の学内選考については常に他に譲るようにいわれたり・・・・少し、ストレスがたまっていたけれど、助手の間は、研究室外の方とそれほど接しなくともやっていけること、助手の中で、学位を持っている研究助手と持っていない教育助手に分類され、前者で女性は私だけだったこともあって、助手どうしの付き合いも少なかったから、共通機器以外のことは我慢できていました。
まあ、『女性が30歳すぎて1人暮らしで助手をしていて、御父さん、御母さんが悲しむよ・・』と、事務局長にいわれた時は、さすがに、どん引きしましたが。

今でいう若手研究B(当時は奨励研究といってAもBもなかったのですが)に採択されたとき、担当の事務の方から『女性でも、科研費ってもらえるんですね・・』と、いわれました。さらに、基盤研究Bをとったときに、女性の助手がそんなものを取るのはおかしい・・ここは、研究所でなく教育機関だから、研究ばかりやられると困る・・と、ボス以外の教授2名からいわれました。ボスは気にすることはない、と、いってくれたけど、ここでは新しいことを見つけたい、という科学者としての夢を女性では、みることが出来ないなあ・・と、何となく感じていたことも事実です。


そんな状況の時に、他大学からの助教授の話をいただき(公募での選考でした)、助手をしていた大学にずっといれば教授になれたであろうに、そして、呼んでくれたボスの定年が5年後と分かった上で、異動をしました。今、思うと、この決断は何がさせたのだろう・・と、思います。今の学生たちが安定を望むのに比べて、何と不安定への異動だったのでしょう。

このころでしょうか。PIとなる、独立する、つまり、私の分野では教授になるということを意識するようになったのは。5年後に、独立しようと・・・そのために、自分のオリジナルの仕事をしようと随分、もがいていました。准教授時代は、教授の意向のもとで動かねばなりません。また、教授も定年までの5年で大きな学会をいくつも主催していましたから、その事務局も担当しました。研究室もドクターの学生、外国人が多く、学位論文の平均IFが5.5という状況ですから、その程度の論文を作成させていかねばなりません。何より、ボスが大型のグラントを持っていたので、その成果が要求され、自分のオリジナルの研究よりもそちらが優先されました。そして大きな研究班を率いていましたから、そのマネジメントや采配も重要な仕事でした。
報告書をまとめる時期や、ヒヤリングを受ける前は、何日も研究室に泊っていました。

5年後にどのようなポストがオープンになるか分からないけど、自分の状況(業績、経験、グラント)を良くして教授選考に備えなければなりません。研究費そのものはボスがずいぶん稼いでいたけれど、それとは別に自分の科研費も獲得し続けなければなりません。内藤、持田、武田、上原、アステラス、というような製薬企業の冠がある財団の研究費も該当の年齢で獲得にでなければなりません。私たちの世代では、特許や企業との共同研究ができる研究テーマも必要です。役職指定ではありましたが、治験センターのマネジメントをしたり、薬剤師として病棟にも行ったり。。。教授選考に関係はなかったかもしれないけど、医療スタッフと御付き合いすることも自分の考え方の幅を広げました。そこで臨床研究もスタートできました。一番の収穫は治験センターや病棟の看護師さんの愚痴を聞きに飲みに行き、自分が日本酒一升を飲めることに気付いたことかもしれません。


そのボスが定年退職してから2年半後に今の教授ポジションに異動しました。
次のボスも良い人だったし尊敬できる人だったのですが、2年いっしょにしてきて、出ていくべき私がいることで、いろんなことが難しくなりました。それはお互いにだったと思います。

研究室をもち、自分の力で、研究室を動かし、オリジナルの仕事も動きはじめました。ラッキーにも、一番の心配ごとだった、研究費も何とかなっています。次の春には、はじめての卒業生も巣立ちます。私の研究室の卒業学生を取りたいといってくださった企業もいくつかあり、教授という職業が、学生のターニングポイントに立ち会えるという職業であること、また、世界を舞台に自分の仕事を見せていけることに大きな喜びを感じています。

この夏、いろいろんなことがあり、新米教授には試練というか、気持ちが落ち込むことがありました。あまり、気持ちの強くない私としては、本当にしんどいことがあるのですが、やはり、教授になった日のことを忘れないでいようと思っています。


明日から大学院の入学試験です。入学試験の日のことを、忘れず、大学院生、研究者になっていってほしいです。

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  • 2012/08/24 10:58 PM

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現在、国立大学薬学部で研究室を運営中。精神・神経薬理を専門としています。薬学部が6年制となり、新たなカリキュラムの実施を担当しています。薬学部で、教育と研究の両立は可能と信じて毎日を過ごしています。大学で繰り広げられていることを一般の方にお知らせしたり、神経・精神の研究や薬剤師に興味のある方に情報提供したいです。
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