今日は富山空港朝一番羽田行7時15分に乗って、慶応大学薬学部(浜松町)にきています。実務実習の一期が終わって、その問題点やよいところ、改善点を出し合いました。薬学部が74あって、全大学から、きちんと一人きているのでから、ある意味すごいと思います。
今は、羽田空港で、飛行機をまっているのですが、この時間を利用して、論文のレフリーをしようとしています。
研究者が、自分の行った研究成果を発表する公式の場は、論文です。世界の人に知ってもらうために英語で書きます。自分の研究分野にあった内容を扱う雑誌に、論文を掲載してもらうよう、原稿を送ります。おおまかにいうと読者の多い雑誌ほど、掲載されるのが難しいという感じです。それをインパクトファクターという数字で表現することが多いです。
いずれ雑誌でも、掲載してよいか否かを、レフリーという人が判断します。編集者が、論文の内容に近い分野の研究者に原稿を送って判断してもらいます。この数年は、オンラインでPDFをやりとりすることが多いです。
大学院生のころ、このレフリーっていう仕事をする人は、さぞ凄い人だと思っていました。だって、自分が何年もかけて実験して、自分が尊敬している指導教授の先生に指導していただき、いろいろ追加実験して、さらに論文を膨大なエネルギーをつかって書いて・・それをやっとこさ投稿しているのに、それなのに、それなのに、それを、ぼろぼろにいったり、あちこち文句をいったり、ときどきは、”その雑誌にのせてやらない”と一蹴され、掲載してもらえるとこみ、やたらと追加実験をして・・・書き直して・・・なのですから。
どんな雑誌でも、論文の数がそこそこある今でも、論文が通るとうれしいものです。レフリーはそれだけの権限をもっているわけです。
ところが、今、1週間に1−2の論文のレフリーをするようになり、その中には、大学院生のころは憧れていた雑誌もあります。基本、私はレフリー依頼があったら、受けるようにしていますが、自分の専門分野と随分離れている内容のときでも受けてしまうことがあります。
そんなとき、もちろんプロですから、内容はそれなりに理解するのですが、その内容が、世界の流れの中でどれくらいの位置になるかわからないまま、判断してしまうことがあります。
そう思うと、レフリーというのも、いいかげんなものだなあ・・と、感じることがあります。
自分が投稿したときに、ピントはずれのコメントだなあ、と、思うことがあるのは、このような時なのだなあ・・と、思います。
そうやって、業績というものが積み上げられてきます。
もうすぐ飛行機に乗ります。